濃姫は夫の横顔をチラと一瞥(いちべつ)しながら、報春院に申し述べた。
「手助けと申すと?」
「まずは、間者である可能性のある者と、そうでない者をふるいにかけたのでございます。例えば…、
病身であられるお類殿は勿論のこと除外。そのお類殿と同時期に殿と出会われたお養殿なども、対象から外しました」
「儂が間者の噂を耳にした折には、お養は既に冬姫を身籠っていた上、あの者は産後、
自ら正室であるお濃に、出産の報告をしたいと儂に願い出ておったのです」
「それが…何だと申すのです?」
「殿は、『 己の首一つを狙うている者が、そこまで回りくどいことは致さぬであろう 』と考えられ、あえてお養殿には疑惑の目を向けられなかったのでございます」
濃姫がさりげなく口添えした。
「同じ意味で言えば、勘八の母である坂なども、長らく儂の側で仕えて参った忠義の者にございますが、
…実は間者の噂を耳にしたのと同じ頃、坂が勘八を乳母に預け、度々屋敷を留守にしていたという報があったのです」
「何と!?」
「結局それは、流行り風邪を患われていた、お母上の病気見舞いに出向かれていただけの事だったのですが、念には念を入れよと、殿が申されて」
「あの者のことは信頼しておりますが、儂もここ最近、坂氏の邸へは赴いておりませなんだ故───油断は出来ぬと思いましてな」
「左様な次第にて、少しでも疑念のある者とそうでない者に分けて、お慈殿に探りを入れさせた訳でございます」
その話を聞いた報春院は、思わず「あっ」となった。
「じゃから、側室らそれぞれで、お慈殿から言われた話の内容が違ごうた訳じゃな!?」
「御意にございます」
濃姫は静かに首肯した。
「お慈殿には当初、側室方に怪しまれぬよう、慎重に事を聞き出してほしいと頼んでいたのですが、
まさか、自分自身を美濃の間者であるかのように装った挙げ句、坂殿らに謀反の話まで持ちかけようとは思いもせず───
ほんにあの者のすること成すことには、私も殿も、随分と驚かされたのですよ」
濃姫は思わず信長と顔を見合せ、ふふっと可笑しそうに微笑(わら)った。
「ではもしや、此度の重陽の宴に側室たちを招いたのは…」
「はい。殿の寵を受けたおなごたちを全員お招きし、お慈殿がまだ接触を図っていない者たちを、一度に調べる為にございます」
「いくら敵の間者でも、儂の愛妾ら全員が招かれる祝宴への参加を、無下に断ることなど出来ますまい。
逆に、大した理由もなく参加を拒む者がおれば、それこそ怪しい者という事になりますからな」
信長が言うと、濃姫も一つ頷いて
「正直に申せば、招いたおなごたちの中に、間者が潜んでいるのか否なのかも分からぬ状態でした故、
寧(むし)ろ此度の祝宴は、間者云々の一件を、改めて確かめる為に催した宴だったのでございます。
ですから、お慈殿がまことにお妙殿に目星を付けた時には……ふふふ、驚きを通り越して唖然と致した程にございます」
まるで世間話の最中の主婦のように、姫は朗らかに笑った。
「…そうであったか。わらわの知らぬところで左様なことが…」
報春院は得心したように呟いたが、尚も腑に落ちないような顔をしている。
「なれど、どうにも解せぬ…。お濃殿」
「何でございましょう?」
「そなたたちの事前の調べで、疑わしき者とそうでない者とを、粗方ふるいにかけていたのであろう? 何故に愛妾たち全員を宴に招く必要があったのです?」