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だったらその心は返してもらえ


だったらその心は返してもらえ,こっちはまだ生きてる。

それにあんたが生きてる限り,その恋仲はあんたの心の中で生きられる。

力尽きるまで生きろ。

力が尽き果てる時,迎えに来てもらえ。

その時に,また身も心も委ねればいいだろう。」gaapiacct.pixnet.net

 


 


呆然とする三津の目からすっと綺麗に一筋の涙が零れた。

 


 


「…心がないとまた愛しいと思う相手が現れても愛せんだろう。」

 


 


斎藤は空になった猪口を三津に突き出した。

三津は泣きっ面でにっこり笑って徳利を傾けた。

 


 


その時,斎藤にはその場を立ち去る足音が聞こえていた。

それを聞いて肩の力がふっと抜けた。

 


 


『やっとゆっくり酒が呑める…。』「すまん…せっかくの化粧が台無しだな。」

 


 


斎藤は親指の腹で三津の涙を拭った。

その優しくて柔らかい感触にくすぐったいと身を捩りながら目を閉じた。

 


 


「でも気持ちは楽になりましたから。

それと心は新ちゃんにあげます。

また素敵な人が現れたら,その人に新しい心を貰います。」

 


 


本当はもう貰ってる。

桂がくれた桂だけを想う心。

 


 


「そうか。今日はお疲れだったな,もう戻って休め。」

 


 


おやすみの代わりにぺちぺちと張りのある頬を叩いて腰を上げた。

 


 


「おやすみなさい。」

 


 


 


 


 


器を片付けに真っ暗な台所へと踏み込むと,

 


 


「おい。」

 


 


低い声が闇に響いて大きく肩が跳ね上がった。

 


 


「きゃっ!びっくりしたぁ!」

 


 


月明かりで土方と確認して,ふぅと息を吐くが心臓は激しく脈を打った。

 


 


「何やってんだよ。」

 


 


「何って片付けですよ。」

 


 


当たり前の事をしようとしてるだけなのに土方は拳骨を見舞った。

 


 


「たえの着物汚す気か?着替えてからにしろ。」

 


 


三津からお盆を取り上げ,そこらに置き去りにした。

そして衣紋を引っ張り部屋へ帰った。

 


 


「さっさと着替えろ。」

 


 


「…じゃああっちで。」

 


 


着替えを持って部屋を出ようとするが阻まれた。

 


 


「見やしねぇよ!お前の着替えなんか見て喜ぶとでも思ってんのか?」

 


 


「ですよねぇ…。」

 


 


鋭く睨まれ,すごすご衝立の後ろに移動した。

ちらっと盗み見ればこちらに背中を向けているのが見えた。

 


 


やむを得ずその場で脱ぎ始めた。

紐が解かれる音,布が擦れる音を聞き,土方は息を殺して衝立の向こう側を覗こうとした。

 


 


 


――私も斬られたんですけどね。

 


 


 


土方はその時の傷を確認したかった。

どこをどう斬られたのか。

 


 


『まぁ生きてんだから大した事はねぇだろ。』

 


 


そう思っていたけど,三津が襦袢をするりと滑らせた時,息を飲んだ。

 


 


右肩から背中にかけて刻まれた刀傷。

一瞬で全身が粟立った。

小さな背中にそんなモノを背負ってたなんて。

 


 


「…三津。」

 


 


「はい!?」

 


 


「これからお前には護衛をつける。外に出る時は誰かと行動を共にしろ。」

 


 


三津は大袈裟だと笑って顔を覗かせたが,土方は駄目だと首を振った。

 


 


「お前は俺の女と思われてる。この際俺の女として守られとけ。」

 


 


 


 


カタチだけでも俺の女になりやがれ。「あ,嫌やわお味噌足らへん…。」

 


 


夕餉の支度に追われる夕刻,大事なおかずの一品が作れないかもしれない一大事。

 


 


「私買いに行きますよ。」

 


 


三津がたすき掛けを外そうとするのをたえが止めた。

 


 


「今からやったら遅なるから今日の分は八木さんに分けて貰えへんやろか。」

 


 


「そうですね,じゃあちょっと頼みに行ってみます!」

 


 


味噌を入れる器を抱えて八木邸に向かった。

 


 


「お三津さんどこに行くんですか!?」

 


 


血相を変えた隊士がちょっと待ったと引き止める。

 


 


「八木さんとこにお味噌貰いに。」

 


 


それがどうかしました?と小首を傾げた。

早く貰って夕餉を作ってしまいたいのだが。

 


 


「ではお供します。行きましょう!」

 


 


「は?」

 


 


口を大きく開けて立ち尽くしてしまった。

八木邸ぐらい一人で行ける。

 


 


「あのお供なくても大丈夫なんですけど…。」

 


 


「いけません!副長からお三津さんを一人にするなと言われてますから!」

 


 


そこでようやくピンと来た。

護衛をつける事になったんだった。

 


 


『でもそれは流石に…。』

 


 


「いや,すぐそこですから。」

 


 


やんわり断ろうとしたが駄目ですの一点張り。

結局その隊士を引き連れて八木邸に行った。