に従うことになってしまった。
そして、副長である。
親友というよりかは兄といっても過言ではない近藤局長とは死に別れ、弟といってもいい沖田とは生き別れ状態である。避孕 それでなくても寂しく悲しい思いをしているのに、三人もの親友をほぼ同時期に失くしてしまうのである。
どれだけ傷ついているだろう。どれだけ喪失感に苛まれているだろう。
すべておれのせいである。だれがなんといおうと、おれの過失である。
「さいと……」
「斎藤、わたしやに気をつかう必要はない」
副長が口をひらいて斎藤の名を呼ぼうとしたタイミングで、会津侯がそれにかぶせてしまったという名の会津藩士のことである。
かれは、大剣豪である。それだけでなく、かなりの酒豪でもある。ただの酒豪ではない。とんでもない酒豪なのである。
かれの酒にまつわる問題やトラブルはいくつかあるし、さらには失敗などもやらかしている。
いわば、会津藩のトラブルメーカー的な存在であるかもしれない。
いろんな資料で、かれの酒でのトラブルや逸話を確認することができる。
会津藩がそんなトラブルメーカーの佐川を咎めないのは、かれの剣の腕がそういった失敗やら問題をうわまわっているからであろう。それから、指揮官としての能力もである。
ちなみに、かれはこの会津戦争でもやらかしてしまう。
のちに「長明寺の戦い」とよばれるようになる戦いの前夜、会津侯から出陣の景気づけの酒を賜った。
かれがおおいに吞みまくるのは、いうまでもない。でっその翌朝、寝坊してしまって出陣がおくれ、敗北してしまう。
ちなみに、この戊辰戦争で、かれは父親と弟二人を亡くす。
もちろん、かれは失敗ばかりするわけではない。この会津戦争で、かれは少数精鋭を率いて敵をやぶり、若松城への糧道を確保するという活躍もしている。
京にいた。、おれはかれと組んだことがあった。その際、かれに思いっきりゲロをぶちまけられたのである。
正直、おれの佐川の印象は、大剣豪というよりかはゲロである。
実際、こんなシリアスなシーンだというのに、会津侯から佐川という名をきかされた瞬間から、おれの鼻はゲロのにおいしかしていないし、脳内はおどろおどろしいゲロ一色に染まってしまった。
そんなおれのゲロまみれの思い出は兎も角、斎藤が会津藩のために間者となって副長たちのもとにやってきたのは、そのゲロ佐川がきっかけの一つであったらしい。
「会津侯」
斎藤は、会津侯にいわれたことでわれにかえったらしい。会津侯に向いてすぐに正座をしなおした。それから、畳に拳をつけて面を伏せ、礼をとる。
「おそれながら、会津侯や佐川殿だけでなく、近藤、土方両局長にもはかりしれぬほどの恩がございます。わたしの誠の気持ちは、土方局長につきしたがって戦いつづけたい。なれど、さきほど申しましたとおり、わたしではとても洋式化している敵にたいしてお役にたてませぬ。それならば、両局長の会津を想う気持ちとともに残り、敵に敵うまでもなくとも一矢でも報いることができればいいかと……」
かれの語尾は、かれ自身のむせび泣く声で消えてしまった。
「斎藤……」
会津侯は瞼をとじていたが、それをあけた。
「わたしは、否、会津は大歓迎である」
それから、を副長へと移す。
その会津侯のに、意外なことに笑みが浮かんでいる。
寂しさと悲しみのいりまじった笑みが……。
「斎藤。三番組を率い、会津に残ることを命じる」
副長は会津侯からを斎藤にうつすと、そう命じた。
その声音は、こちらがグッとくるほど苦し気である。
いつもだったらムダに理由や説明をつけるはずの副長が、たった一言しかいわなかった。
いや、いえなかったのであろう。
泣いてしまいそうだからにちがいない。
せいいっぱい、つよがっているのだ。
島田と蟻通も、その副長の気持ちを感じているらしい。ただだまって副長をみつめてる。
俊冬と俊春もまた、面をわずかに伏せてしずかにしている。
相棒は、土間で「くんくん」いっている。
「承知」しばし間があったが、斎藤は涙声で副長のを了承したのであった。
あまりときがない。会津侯にとっては、という意味である。
俊冬と俊春の二人で送っていくという。
会津侯の身の安全は、現代のどの国のVIPよりもよほど保証されているようなものである。俊冬と俊春のコンビなら、地球が爆発して消滅するようなことがないかぎりは護りぬく。