「あなた様の行動を見、言葉を聞き、この国を豊かになさりたいというお考えを知り…。
このお方にならば、己の一生を託しても構わぬと、そう思い及んだのでございます」
「──」
「人の心の機微は複雑なものでございます故、あまり上手くは申し上げられませぬが、
私はきっと、織田信長という男の持つ、未知なる可能性に惹かれているのだと思います」
「…お濃…」
「殿ならばきっと、常識という型の中で生きてきた私に、今までにない清新な世を見せてくれる。
道理に囚われない殿ならではの、斬新なやり方で、いずれ天下を取って下さるはずだと──濃は信じているのでございます」
まるで濁りのない美しく澄んだ瞳で、濃姫は静かに夫の細面を眺めた。
「……天下、…天下か」植髮
姫の放った一言を重々しげに暗唱すると、信長はサッと立ち上がり、右手の障子の前へと進んだ。
そして自分の肩幅くらいに障子を開けると
「お濃。儂はな、理想などではなく、まことに天下を取ろうと考えておるのだ」
降り頻る小雨を見つめながら、信長は心組みも固く述べた。
夫の白い夜着の背に視線を送りつつ、濃姫は一瞬驚いたように両眉をつり上げる。
「無論 尾張一国もまだ手中に出来ておらぬ儂には、天下などまだまだ遠い先の話じゃがな」
「…天下、それが殿の夢なのでございますね」
「いや、儂の夢はもっと壮大じゃ。日の本は広い。じゃが大海原の向こうには更に大きな世界が広がっておるのだ。
儂はその世界が見たい…いつかこの手の中におさめてみたいのじゃ。この国の天下など、それを得る為の足掛かりに過ぎぬ」
濃姫は言葉も出なかった。
まだ十六の若き夫が、日本のみならず、見たこともない外の世界にまで目を向けているのだ。
『 やはり殿は面白い──。私の予想など軽々と飛び越えてしまう 』
『 この日の本で天下を取るのも困難であると申すに、よもや世界とは 』
良い大人が聞いたら笑い飛ばされそうな話だが、濃姫はあくまでも真摯に、彼の夢を受け止めていた。
それは齢十五の娘が持つ純真な幼心故かもしれないが、それでも決して不可能な夢だとは思わなかった。
信長だからこそ出来る。
信長だからこそ成し遂げられる。
確証はまるでないにも関わらず、姫の心の中は夫への期待と信頼とで溢れていた。
「まずはこの尾張からじゃ。この国を我が物にせぬことには話が始まらぬ」
信長は障子をピシャリと閉めると、どこか生き生きとした表情で濃姫を見やった。
「先は長いぞお濃。日の本がこの手におさまる頃には、儂もそなたも、きっと年寄りになっておろう。
ましてや世界へ乗り出す頃には、棺桶に片足を突っ込んでおるやもしれぬ」
「その時には、私が杖(つえ)の代わりになって、殿と共に異国の地を巡って差し上げまする」
「言うてくれるのう。なれど、我らはたった一つしか年が違わぬのじゃ。
その時にはそなたとて、儂と同じく老体になっておろう」
「でしたら、私は老いても尚 若人と同じくらいに歩けるよう、これから足腰を鍛えまする。
濃は、最後の最後まであなた様に付いて行くと、心に決めております故」
「はははっ、それは頼もしいな。──そうまで儂のことを見込んでくれているとあれば、致し方ない」
信長は勝ち気な笑みを浮かべながら濃姫の前まで歩み寄ると
「…きゃっ!!と、殿!」
姫の背中と膝裏に手を回し、軽々と彼女の身体を持ち上げた。
「儂も男じゃ。引くべきところは引かねばなるまいな」