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やがて別れの時が来る。歌は送ると言ったが、暗くなってからの女性の一人歩きは危ないと固辞した。

 


 歌は桜司郎の背が見えなくなるまで、子宮內膜異位症 ずっと頭を下げ続ける。やがて頭を下げると、その頬に一筋の雫が流れた。

 それを掬うように突然風が吹く。

 


──うた、達者で暮らせ。

 


 


 風の音か、はたまた誰かの声なのか。優しい響きに歌は微笑むと目を閉じた。 あれ程までに賑わっていた通りも、夕闇の色が濃くなるほどに を遠のかせている。京ほどではないにしても、江戸の街もそれなりに物騒だった。力に覚えが無いものは一人では歩かない方が良いと言われている。

元来た道を早足で歩きながら、桜司郎は考え事をしていた。左腰に いている太刀に手を当てる。

 


 恐らくこの薄緑には、桜之丞という人物の念が篭っているのでは無いか。不慮の事故により命を落としたことで、この世に未練が残ってしまい、"偶然"手に入れた自分がそれを晴らすように仕向けられているのか、と。

 


 そのように仮定すると、ある程度辻褄は合った。江戸が懐かしく感じるのも、御徒町を故郷のように愛しく思うのも、桜之丞に縁のある夢を見るのも。

 


 


 そう思った桜司郎は足を止めた。

 


──もしこの仮説が正しいとすればあの感覚は私のものではなく、。

 


 


 掴みかけた糸口をまた見失ったような気がする、と れた。たちまち寂しさに似た感情が込み上げる。これは"桜司郎"のものだ。

 


 出口の無い迷路を っているような、そんな不安が波のように襲ってくる。

 


「沖田……先生」

 


 


 救いを求めるように、京で自分の帰りを待つと言った男の名を呟いた。

早く試衛館へ行かなければならない筈なのに、足取りが重い。鉛が乗せられたようだ。

 


 だが、それでも帰らなければいけない。沖田との約束を果たす為には、土方を何としてでも説き伏せねばならなかった。

 


 着物の裾を握り締めると、自身を鼓舞するように桜司郎は歩く速度を速める。

 


 


 


 半刻ほど歩いただろうか、試衛館の付近へ着く頃にはすっかり辺りは暗闇に染まっていた。門を潜る勇気が無く、それの前で立ち竦む。

 


 すると、ガラリと玄関の戸板が開き中から誰かが出て来た。桜司郎は思わず門の柱の横に隠れる。

 


 


「絶対道に迷ってるんだよ〜。土方さんってば、何故町中に置いてきちゃったのッ。俺、探しに行ってくるね」

 


「待て、平助。俺も行こう。人手は多い方が良い」

 


 


 それは藤堂と斎藤の声だった。二人が門を出るとその横に立っている桜司郎と目が合う。藤堂は驚きの表情を浮かべると、指を差した。

 


 


「居たッ!何だ、ちゃんと帰って来られたんだねッ。良かったよ〜。丁度君を探しに行こうとしてたんだ」

 


 中に入ろう、と藤堂が桜司郎の肩に手を掛ける。玄関の前に立つ土方と目が合い、帰りが遅くなったことを怒られるかと身体を強ばらせた。

 


 だが、土方の表情は何処か安心したように柔らかい。目を細めると、安堵の息を吐いた。

 


 


「随分と遅かったじゃねえか……。腹は減ってるのか」

 


 その問いに桜司郎は首を横に振った。

 


 


「そうか。なら、早く風呂に入って来い」

 


 


 ぶっきらぼうにそう言うと、土方は背を向ける。斎藤と藤堂は土方を追い越すようにして試衛館の中に入って行った。桜司郎もそれに続くように中に入ると、追い抜きざまに土方がその袖を軽く引っ張る。そして耳元で低く熱い声で囁いた。

 


 


「……今夜。斎藤と平助が寝たら話しがある。起きていられるか」

 


 ぞくりと背筋が粟立つのを感じ、思わず耳を抑えつつ桜司郎は頷く。