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「八十八君、この煮


「八十八君、この煮物美味しい!」

 


桜司郎はニコニコと笑いながら箸で人参を摘み上げる。それを何処か呆れた表情で山野は見た。

 


「君さ…。廓に来て煮物って…。安全期 色気の欠片も無いのな。美人どころが沢山いるっていうのにさ」

 


「だって…」するとその時。沖田と視線がかち合うと、沖田は目を細めて優しく微笑んだ。

 


「私にも何か出来ることは無いかな…」

 


 


笑みを返しつつ、桜司郎はそう呟く。その呟きを拾った山野は肩を竦めて手を横に振った。

 


「俺ら平隊士はお呼びじゃないぜ。なあ、まごっちゃん。君はどの が好みなんだ?」

 


「わ…私は、その、あまり興味が…」

 


 


馬越はそう言うと、三味線を弾く芸妓をちらりと垣間見る。その視線は妓自体ではなく、妓が身に包んだ美しい着物や簪に向けられた。

桜司郎は馬越の横顔を見る。憧れるようなそれを見て、何となく察した。

 


きっと馬越は綺麗な物が好きだから、女物の着物や小物に興味があるのだろうと。

 


 


「君もか!」

 


 


それに気付かない山野は呆れた表情で二人を見る。男に生まれたのに、何故美しい女を前にして何も感じないのかとさっぱり理解出来なかった。

 


女に不自由したことないだけに尚更である。

 


 


「ごめんね、八十八君」

 


桜司郎は少しだけ切なげに笑った。

男として、妓相手に振る舞うことは決して難しいことでは無いだろう。しかし、その覚悟はまだ付いてなかった。

少しでもその艶やかな姿に羨望を抱いてしまえば、きっと自分のことが嫌いになる。

 


そして、あの妓の悲痛な言葉を聞いてしまったからには、偽った姿で接することは出来なかった。妓楼に尽くす妓達は仕事として割り切っているだろう。

だが、それでも人の子なのだ。

 


万一にでも感情が桜司郎という存在に揺らがない保証はない。

 


 


「何で謝るんだ?興味が無いなら仕方ないじゃないか」

 


 


山野はケロッとしながら、桜司郎が絶賛していた煮物を口に運んだ。確かに美味いと驚きの表情を浮かべるそれを見て、桜司郎はくつくつと笑う。

 


 


「八十八君、私は貴方と仲良くなれて良かったと心底思ったよ」

 


「突然どうしたんだよ。それは俺の言葉…というか、照れ臭いから止めろって」

 


 


山野は口元を隠すと、照れたように視線を背けた。

 


その後、酒を交わしながら談笑していると、余興として原田が過去の切腹の傷に筆で顔を書き、腹踊りを始める。他の平隊士も参加し、原田の傍で面白おかしい踊りを披露した。

 


それを永倉や松原が囃し立てる。

 


 


穏やかなその光景を手を叩きながら見ていると、山野は

 


「だってじゃないぞ。ほら、あそこの芸妓を見てみろよ。きっと君のことが気になっているのさ。先程からずっと目配せしているぜ」

 


 


桜司郎は山野が視線を送る先を目で追う。すると、正面にいた小柄で素朴な瞳が可愛らしい芸妓が、チラチラと此方を見ていた。

 


「わ、私の事じゃないって。八十八君か馬越君の事を見ているんだよ」

 


桜司郎は視線を逸らすと、近藤や沖田のいる上座を見遣る。

すると、そこでは伊東に対する接待のようなものが始まっていた。

 


 


「伊東さんを新撰組に留まらせる為に、局長も副長も尽力しておられる。下っ端には分からない苦労があるんだろうなァ」

 


 


山野は尊敬の眼差しを上座へ向ける。穏やかな笑みを浮かべているのに、何処かぎこちない沖田の横顔を見て、桜司郎は此処に来る前の言葉を思い出す。

 


『どうやら、酒で親睦を深めて正式入隊を後押しさせたいようなんです。私は、おべっかを使うのは苦手なんですよねェ…。でも、近藤先生の為に頑張ります…』

 


 


沖田も頑張っているのだと桜司郎は口角を上げた。