人として扱われず、働き手である男もおらず、田も畑も与えられない。
助けてくれる者もいない。
百姓育ちでもない老いたおなごが嬰児をかかえ、なにができただろう。
イダテンの父であるシバが逝って十年。
今のイダテンならば狩りもできよう。
山の奥まで入って芋や実や菜を採ることもできよう。植髮
それまでは常に餓死する恐怖にさらされてきたはずだ。
自分であれば耐えることができただろうか、と自問する。
生きていく、その原動力が、いずれ、この孫が怨みを晴らしてくれるという妄執だったとしても責めることはできまい。
しかし、あのおなごにはできなかったのだ。
それは、決して昔、惚れたおなごへの願望ではない。
イダテンの目を見ればわかる。
生きる喜びを知らぬ者の目だ。
生きる目的を失った者の目だ。
たったひと言、宗我部に怨みをはらせ、と口にしてくれれば使いようもあったものを。このところ頻繁に、みぞおちあたりがきりきりと痛む。
姫の父であり、わが主人である阿岐権守が、うとんじていた宗我部兄弟の評価をあげつつあるからだ。
流罪の身の主人としては、邸に閉じこもり謹慎生活を送るほかなく、国司としての実務はこの地の役人に任せている。
郡司である宗我部国親は、領民から年貢を徴収し、受領である阿岐権守に遅れることなく届けている。
それだけを見れば有能である。
どれだけ、ごまかしているかを別にすれば。
事実、国親はろくでもないやり口で蓄財を増やしている。
本来の税の上にさらに税を掛け、不法な労役を課し、税の払えぬ者は下人とする。その下人を税の免除を受けたおのれの開墾地で働かせるのだ。
加えて、敵対するものは手段を選ばず葬り、領地を広げ、手下を増やしてきた。
今や、その支配は、阿岐一国に及ぼうとしている――問題なのは、それでも満足していないことだ。
わが主人は、代々、人の上に立つ摂関家の嫡子として生まれてきた。
育ちが良いといってしまえばそれまでだが、考えが甘いのだ。
自分や帝が命を出せば誰もが従うものと思っている。
だからこそ、若くして関白に手が届くところまで昇進しながら、このような鄙びた地に国司として流されることになる。
十年を過ぎたが未だに赦しはでない。
都への執着も尋常ではない。
自分に取って代わった男は内覧の宣旨を受け、その地位を盤石としているにもかかわらず、金に糸目をつけず、帰れるよう工作をしている。
だが、都に戻ったところで、かつての栄華を取り戻すことなど叶うまい。
帝の臣下として最高位に就くはずだった主人には、むしろ辛いだけだろう。一方で、この地にとどまり続けるのも危険だった。
主人の前では慇懃にふるまってはいるが、国親には前科がある。
宗我部兄弟の横暴なふるまいにいらだっていたのは領民だけではなかった。
隣接する地を治める船越の郷司、船越満仲が、宗我部に不満を持つ近隣の土豪郎党に声をかけ、邸で対応の話し合いを持った。
その情報を手に入れた国親は、期を逃さず満仲の館を取り囲み、一人残らず葬り去ったのだ。
館にいた、おなごも赤子も区別なしに。
死人に口無し、というわけだ。
宗我部国親が描いた絵図は――税をごまかしていた船越満仲一党が、証拠隠滅を図り国衙の焼き討ちを画策し、その情報を得た宗我部一党が館を取り囲むと、抵抗ののち、自ら火を放ち自害した――というものだった。