永倉は下段の構えから、桜花の木刀を擦り上げてから返す。永倉が得意とする龍飛剣という技だ。
「あっ、しまった!」
その力強さに腕が痺れ、木刀を手放しかけた。その隙を永倉は見逃さず、上段から攻撃をしかける。
「貰ったァァァ!」
「くッ」
桜花は大きく開いた足を踏みしめ、fue植髮 木刀を持っていた右側に重心を寄せた。そのまま身を捩り、攻撃を回避する。そして直ぐに永倉の胴に木刀を突き付けた。
その攻防を他で打ち合っていた隊士達は手を止め、固唾を呑んで見ている。
「い、一本!」
桜花に軍配が上がる。ざわめきが起こった。
「今のを回避するとは…身軽すぎんだろうが」
永倉は流れ出る汗を乱暴に拭い、楽しげな表情を浮かべる。
「いやァ、あなたは本当にお強いですね。見切り方も技能も抜群だ」
そこへ沖田がやってきて二人に手拭いを差し出した。
それを受け取り、汗を拭く。
「あなた程の方が隊士にならないというのも勿体無い気がしますよね。直ぐに要職へ付けるんじゃないかな」
桜花は息を整えながら、困ったような笑みを浮かべた。
「私には…分不相応です。先生方の邪魔は出来ませんよ」
新撰組に名を連ねるということは、あの局中法度を背負い、人を斬るもしくは斬られる覚悟をも背負うということだ。そして会津藩や幕府の敵となるもの、つまり長州藩や不逞浪士を取り締まるということになる。
「良いんじゃねェの。若いうちは剣術を純粋に楽しむのも有りだぜ。俺も剣術が好きすぎてしたくらいだからなぁ」
永倉は松前藩江戸定府取次役の次男坊として産まれたが、あまりにも剣術にのめり込みすぎて脱藩したのである。
「皆さんのお陰で毎日楽しいです。本当に何とお礼を申したら良いのか」
桜花はふわりと柔らかく笑った。隊士相手にこれ程心の底から笑うのは初めてのことだった。
永倉と沖田は目を見合わせる。
「お前さんが武田に言い寄られる理由は良く分かったような気はするぜ。笑ったらまるで女子のように綺麗だもんなぁ」
「えっ…」
桜花はハッとし、表情がみるみる暗くなった。気を付けないと吉田の二の舞が起こってしまいかねない。
「永倉さん…余計な事を言う癖は直りませんねェ。そう言うのは思うだけで留めておきましょうよ」
「お、おう…。済まねぇな。直ぐ言葉に出ちまうんだ」
永倉はバツが悪そうな表情を浮かべ、頭を掻いた。
そして桜花の肩に腕を回す。
「お前さんは隊士でもねえし、微妙な立ち位置かもだけどよ。別に俺らは鬼な訳でもねえ。取って食いやしねえから、気軽に接してくれや」
「永倉さん…。はい。有難うございます」
それを聞いた桜花は嬉しそうに笑った。
沖田は懐から ちゃん、あれ何やろか。焚き火なんかな」
勇之助は桜花の袖を引っ張り、東の空を指差す。
そちらを見ると、黒い煙が小さく天に向かって上がっていた。
隊士が出動していった方角と、黒い煙の方角は一致しており、恐らく焚き火等では無さそうだと感じた。
この時代の建築物は全て木造であり、かつ京の建物は密接しているため火事が起これば延焼する可能性がある。
しかし幸いながら今日は風が穏やかであった。加えて、距離があるためここまで火の手が及ぶことは確実に無い。
「そうかも知れないね。火は危ないから気を付けないと」
「桜花はん、すまへんけどお使い頼まれてくれるやろか。清水の近くのーー」
本当にただの焚き火だと良かったのだが、実際は異なった。
松原通木屋町の出火現場では浪士二名が駆け付けた新撰組隊士により捕縛され、屯所へ連行された。
その浪士は見知った人では無く、桜花は少しだけ安堵する。
しかしこの捕縛には大きな意味を持っており、後々の悲劇へと繋がるものとなった。